これからのマネジメントは脱・病院思考、地域連携の視点を持つ
武藤先生は現在、国際医療福祉大学大学院の「ヘルスケア分野で高い経営戦略立案能力を持った人材」を育成するh-MBAコースでも、教鞭に立っておられるそうですね。
我々のh-MBAコースが行っているのは、ヘルスケア分野における中間マネージャーの育成です。自分の専門分野で新人以上のキャリアをお持ちの中間層に、組織運営や経営戦略に関するマネジメント能力を身につけていただく。そこを重要視しています。
一般にマネジメントというと、経営に直結している上層部の課題だと思いがちですが、皆さんご存知のとおり、働いていればあらゆる場面でマネジメントが必要になってきます。マネジメントの思考自体を中間層に浸透させていくことが、我々の目的です。
さらに大切な点は、病院単体だけで完結しようとせずに視点を広げること。現在は、地域の訪問看護ステーションや老人保健施設、あるいは診療所などからのh-MBA受講生も多く、地域を包括した視点から自分たちの役割を考える思考が重要です。
病院単体が医療の主役だった社会は20世紀にピークを迎えたと考えると、21世紀は脱・病院時代。病院は地域の中のワン・オブ・ゼム。医療と健康、介護福祉の分野が有機的にからみあう地域の視点で考える地域ケアの時代に突入しています。
データに基づいた意思決定と外の世界を知るマインドリセット
教育を受ける側の人間は、どういうマインドやスキルが求められていくのでしょうか?
土台となるのはご自分の専門分野にさらに磨きをかける専門性ですが、そこにプラスしてほしいスキルは、データに基づいた意思決定。財務会計データをはじめ、国が掲げる地域医療構想などさまざまなデータを集めて、そこから課題を抽出してみんなで考えていく、戦略的マネジメント思考が求められています。
先ほど申し上げた「病院の外に出る」というのは思考だけではありません。自分の職場を物理的に出る体験学習の機会を持つことも、今後非常に重要になってくると思います。
たとえば、病院勤務の看護師さんが一度在宅看護を経験すると、カルチャーショックを受けて帰ってくるという話は、よく耳にします。
夏場、清潔でクーラーが効いている院内勤務では日焼けも坂道も気にする必要がありませんが、在宅はたとえ汗だくになってでも自分たちが来るのを待っていらっしゃるお宅を訪ねていく。あまりの環境の違いにビックリする、という話です。
診療報酬、介護報酬の座学の勉強もリアルな現場を知ってはじめて腑に落ちることもあるでしょうし、外に出ることで自分の職場を冷静に見つめ直すこともできるはず。
脱・病院の先にはさらに脱・日本の可能性もあり、外に出たからこそ得られるものは、とてつもなく大きいと思います。
「妊婦加算」から考える患者視点に立った診療報酬のあり方
診療報酬調査専門組織の一つである入院医療等の調査評価分科会の会長もお務めの武藤先生にうかがいます。病院経営に直結する診療報酬の今後の動向は?
最近、最も注目を集めた診療報酬の話題といえば、「妊婦加算」です。現在は制度自体が見送られていますが、話題になった顛末はこうです。
一般に妊婦さんが外来で来院されると、産婦人科以外の医師たちはご本人の健康や胎児への影響を考えて慎重になり、つい「かかりつけの産婦人科さんに診てもらったほうが安心かもしれませんね」と勧めて、自分のところで診るのは敬遠しがちです。
そうした現状を改善するため、そして妊婦さんを診る際は他の患者さん以上に手厚い高度な診療が必要であるという事実を鑑みて、妊婦さんを受診した病院の診療報酬には「妊婦加算」をする制度が2018年4月に始まりました。
ところがこの制度の周知が徹底していなかったこともあり、ある妊婦さんが皮膚科を受診して受付時に加算されてビックリした、という話題がたちまちSNSで拡散されました。なかには「これは妊婦税だ」という声もあがったほどです。
この一連の騒動は、実は根幹的な問いかけを含んでおり、医療機関に診療報酬というインセンティブを与えることが患者さんの自己負担を増やしてしまっては本末転倒、今後は患者さんの視点から診療報酬を見直す必要があるのではないかという本質的な議論が持ち上がっています。
他方、「妊婦加算」と同時期に始まった「乳幼児加算」は各自治体の助成もあり自己負担が0円のため、保護者の方たちから反対の声が上がらずに浸透しているという事例もあります。
すぐには正解を出せない問題ですが、「妊婦加算」で持ち上がった議論は今後の診療報酬の方向性を大きく変えていくのではないかと考えています。
また、2018年は診療報酬と介護報酬のダブル改訂の年でした。診療報酬と介護報酬を連携して、患者さんをスムーズに生活に戻すための仕組みづくりも進んでいます。

医療事務作業補助者、特定行為ができる看護師とタスク・シェアリング
現役の一医師として医師の働き方改革による変化は、どのように感じていらっしゃいますか?
まず前提として日本の医師の生産性は欧米各国に比べてかなり低いという現状を知る必要があると思います。
医師でなければできないことの他に、電子カルテの入力やペーパーワークなどの事務仕事が山積みで、医師本来の役目である患者さんと向き合う時間が十分に確保できない状況が、長年の課題となっていました。
ですが働き方改革以降は、そうした医療事務を代行してくれる医師事務作業補助者が導入され、医師の負担は大分軽減されてきたように感じています。
そしてもうひとつ期待しているのは、2015年に始まった「特定行為に係る看護師の研修制度」の浸透です。
気管カニューレの交換や中心動脈カテーテルの技法、糖尿病患者さんへのインスリンの投与量の調整など国が定める38種の特定行為を、研修を受けた看護師たちに任せることができれば、そこでもまた医師が本来の診療に専念する時間が確保できます。
現在、特定行為の研修を受けた看護師は全国で1000人程度。この数字をさらに伸ばすために国は制度の見直しに取り組んでいます。
医療従事者が患者にアウトリーチ、共通基盤教育の重要性に着目
今後求められる地域医療の姿とは、どのようにお考えでしょうか?
先日、大学の外来でしばらくぶりにいらしたおばあちゃんに「久しぶりですね」と声をかけたら、「しばらく具合が悪くて来れなかったけど、今日は天気もいいし元気が出たから病院に来ました」と言うんです(笑)。
これは冗談でも何でもなくて患者さんたちの高齢化を考えると、これからは患者さんの通院自体が困難になり、我々医療従事者側が患者さんたちにアウトリーチしていく時代。
オンラインでの診断や服薬指導、薬のデリバリーなど、新しい形の医療提供も視野に入れて考える必要が出てくると思います。先進地の欧米ではすでに、皮膚科と精神科の領域でAIを組み合わせた遠隔診断も始まっています。
本プログラムを含め、今後の医療従事者の育成で鍵となることは何でしょうか?
これまで医療と介護福祉は似て非なる関係として臨床も教育現場でもそれぞれの道を確立してきましたが、今後の人口減少を考えると、これからは医療と介護福祉、両方を学ぶことができる「共通基盤教育」が、人材育成の鍵になると思います。
そのためには、やはり先ほど申し上げた体験学習の必要性も大きくなってくるはず。
医療・介護福祉に関わる全員が「生活の中の医療」という視点を持ち、患者さんの人生という全体像を俯瞰できる教育が、求められていると感じています。
2019年2月に「脱病院で始まる地域医療福祉入門」(ぱる出版)を出版しました。この本で地域の中での健康、医療、介護福祉の基本を学びましょう。
武藤 正樹(むとう まさき)
国際医療福祉大学大学院 教授
医療福祉経営専攻 医学研究科公衆衛生学専攻
担当講義 [医療政策学][病院経営情報分析論]
プロフィール
1949年神奈川県川崎市生まれ。1974年新潟大学医学部卒業、1978年新潟大学大学院医科研究科修了後、国立横浜病院にて外科医師として勤務。同病院在籍中1986年〜1988年までニューヨーク州立大学家庭医療学科に留学。その後、厚生省関東信越地方医務局指導課長、国立療養所村松病院副院長、国立医療・病院管理研究所医療政策研究部長、国立長野病院副院長、国際医療福祉大学三田病院副院長・国際医療福祉総合研究所長・同大学大学院教授、国際医療福祉大学大学院教授(医療経営管理分野責任者)を 経て、2018年4月より現職。
医療計画見直し等検討会座長、中医協入院医療等の調査評価分科会会長など政府委員も長年経験。日本医療マネジメント学会副理事長、日本ジェネリック医薬品・バイオシミラー学会代表理事。